浦島太郎は「あけてはいけない」という玉手箱をあけてしまいます。よぼよぼのおじいさんになってしまうことを知っていたら、あけなかったでしょう。鶴の恩返しでは「見てはいけません」と娘に言われていたのに、鶴が機を織っているところを見てしまいます。お陰で鶴が身を削って織った織物を、高値で売って成り立っていた元の贅沢な暮らしはできなくなってしまいました。
カリギュラとは映画のタイトルであり、主人公のローマ皇帝(初代皇帝アウグストゥスのひ孫)の名前です。しかし、映画の内容があまりにも残虐で、過激な性的シーンも多い問題作だったことから、ボストン市をはじめ複数の都市で「上映禁止」の措置がとられます。
これは、1980年の話です。
ところが、多くのボストン市民が近隣の都市の映画館へ足を運び、映画は大ヒット。結局、ボストン市も上映を認めざるを得なくなったのです。
人は自由を制限されると反発し、自由に固執する。この事件以降、心理学で「リアクタンス」と呼ばれるこの現象を「カリギュラ効果」と呼ぶようになりました。
この「カリギュラ効果」は、童話や映画の世界だけの話ではありません。
商品を「買ってください」ではなく、「〇〇な人は絶対に買わないでください」と宣伝するのは、この「カリギュラ効果」をねらったものです。
コロナ感染防止対策で「〇〇は禁止」とされると、〇〇したくなってしまうのが人の心理です。
「ロメオとジュリエット」も、反対されればされるほど、結婚したいと強く思うようになってしまいました。
もう、お金の問題ではありません。
ここが最後の脱出口です。
この先に脱出口はありません。
ハロウイン(キリスト教ではなくケルト人のお祭りです)で大活躍の魔女。魔女は女性とは限りません。
「魔女に与える鉄槌」(1486年)が世に出て魔女(異端者)狩りが始まったと言われています。
捕らえられた異端者は拷問にかけられ自白を強要されます。魔女は空を飛ぶと考えられていたため、崖から突き落とす。落ちなければ魔女として処刑され、落ちれば死が待っています。魔女は聖なる水と反発し水に浮くと考えられたため、水に沈める。浮いてきたら魔女として処刑され、浮いてこなければ死が待っています。
数百年の間に数万人が処刑されたといいます。いずれも異端者を排除するための「冤罪」です。
魔女狩りの背景には、ペストなど疫病の流行や凶作による貧困、戦争による社会不安などがあったと言われています。処刑を公開で行い、この世の不幸を全て魔女に押し付け、うっぷんのはけ口にしたのです。
さて、現在、魔女狩りの時代にはなかったツールにSNSがあります。権力の横暴に対抗し、誰でも手にするこのとできる庶民の武器です。しかし、使い方を誤ると、魔女狩りのような拷問や処刑の道具になります。
コロナ禍で人々のストレスは頂点に達しています。
「それでも地球は回っている」と言ったガリレオ(1564~1642年)は宗教裁判で有罪になっています。
同じころ、ケプラー(1571~1630年)の母親は魔女の疑いをかけられ7年間投獄されています。シェイクスピア(1564~1616年)が「ロメオとジュリエット」の初演を果たしたのは1595年ごろのことでした。
コロナ対策にワクチンや治療薬の開発は重要です。しかし、真実を求める科学と豊かな文化・芸術を忘れてはいけません。一人では探し出すことができなくても、大勢の人が力を合わせれば、脱出口を見つけることができることを、歴史は物語っているのです。