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ブレーキとアクセル

 他国からの細菌兵器による攻撃まで想定している政府にとって、コロナ禍は想定外の事態とは言えません。

 しかし、最初に実施したのは「全校休校」という「急ブレーキ」でした。空路や航路で真っ先にブレーキを踏むべきだったのに、ブレーキの踏む時期、場所を間違えました。日本が島国であることを忘れていたのです。

 GOTOイート、GOTOトラベルは「アクセル」でした。感染拡大のため、あっさり休止。五輪が「アクセル」になったかどうかは評価の分かれるところですが、気持ちだけ車が動いたことは確かでしょう。

 このように考えてみると、コロナは自然災害ではなく交通事故、人災の要素の強いことがわかります。

 コロナ初期、陽性者が10人、100人で大騒ぎしていたのに、今では1万人、2万人になっても平気になりました。あの、横浜港のダイヤモンドプリンセス号事件でさえ、もう記憶の彼方です。毎日、発表される「死者数」を見ても、何も感じなくなりました。アクセルを少し踏んで、あと100人か200人亡くなっても、私たちは平然と「経済も大事」と言うに違いないのです。昭和時代の交通戦争と似ています。

 交通事故防止のため、道路上で車は制限速度を守ること、適正な車間距離をとること、この2つが重要とされてきました。コロナ対策でも同じで、この制限速度と車間距離を明確に示さぬまま、ブレーキがどうの、アクセルがどうのと議論しても意味がありません。

 コロナはヒトの経済活動や、民主的手続き、政治的思惑とは無関係に、生化学的に感染します(コロナは生物ではありません)。ここは、政府機関の専門家(科学者)がはっきり、(公式に)モノを言うべきです。もし仮に、スーパーコンピューターが人類にとって都合の悪い、残酷な結末をはじき出していたとしても、私たちにはそれを知る権利があります。多額の税金を使って一番、二番と争って開発してきたのは、そのためだからです。

 タイトルに戻って、ブレーキとアクセルを同時に踏むのは、エンジンの回転数を下げずにコーナーを曲がるカーレーサーのテクニックです。レーサーにはライセンスが必要です。手始めに、制限速度と車間距離といった交通ルールと免許証(ワクチンパスポート)。そしてワクチンの定期(義務)接種、事故に備えたカクテル以上の特効薬が必要でしょう。人類の未来に希望あることを願って。(自分ごと化会議の予稿から)