童話の墓場 1丁目6番地


■ひともっこ山の真相■

 むかしむかし、太陽の神様は日本中の神様たちに国造りをするよう命じ、神様たちは小さな山や小さな池を造っていました。

 そんなある日、神様たちは、近江の国(今の滋賀県)の真ん中に日本一大きな湖を掘り、掘り出した土で駿河の国(静岡県)に日本一高い山を造ろうと話し合いました。新しい日本のシンボルにしようと考えたのです。

 しかし、これを太陽の神様に知られずに造るには、一夜のうちに工事を終わらせなければなりません。

 そこで、神様たちは月の神様に相談しました。月の神様は、太陽の神様が天岩戸にお隠れになったとき、力になってくださったからです。月の神様は、

「私は太陽の神様がいらっしゃらなければ、光を放つことのできない存在です。太陽の神様にお話しもせず、そんなことはできません」と言ってお断りになりました。

 しかし、神様たちの熱意に根負けし、ある満月の夜、近江の国と駿河の国の間の道を、昼間と間違えるくらい、それは明るく照らしたのです。おかげで工事は順調に進みました。

 ところが、あと、ひと“もっこ”だけ土を運べば完成というときに、夜が明けてしまいます。神様たちは、太陽の神様に見つかってはいけないと、一目散に逃げ出しました。

 こうして、日本一高い山のてっぺんは、ひと“もっこ”分だけ足らず平らで、最後の、ひと“もっこ”分の土は、近江の国の長浜に置き去りにされたのです。

 それを見た太陽の神様は、

「ああ、何日かあとにしてくれたら、私はひと“もっこ”分だけ遅れてやってきて、工事は完成していたに違いない。何とか完成させる方法はないものか」と嘆きました。

 しかし、どの神様もみんな、小さな山や小さな池をつくるのに忙しく、太陽の神様の話に耳を貸そうとしません。神様たちは、太陽の神様に無断で、日本一大きな湖と日本一高い山を造ったことを責められるのではないかと心配していたのです。

 太陽の神様は、はじめに水の神様に相談しました。すると、水の神様は、

「どなたが造られたのか存じませぬが、私は日本一大きな湖ができて、それだけで満足でございます」と答えました。

 次に、太陽の神様は土の神様に相談しました。すると、土の神様は、

「私の仕事は土を掘ることでございます。掘り出した土を運ぶことなどできかねます」と答えました。

 次に、太陽の神様は風の神様に相談しました。すると風の神様は、

「私の力で、ひと“もっこ”分の土を、それも日本一高い山のてっぺんに運ぶなんて、とてもできません」と答えました。

 神様たちが、なかなか手を貸そうとしないので、太陽の神様はいらいらして、どうしても日本一高い山を完成させたくなりました。

 もちろん、太陽の神様がひとたび命令すれば、神様たちはそれに従わなくてはなりません。従わなければ、太陽の神様は天岩戸にお隠れになってしまうかもしれません。そうすれば、日本中が再び暗闇に包まれてしまうのです。

 最後に、太陽の神様は月の神様に相談しました。

 すると、月の神様はこう言いました。

「地上の人々は、満月よりも三日月や欠けた月に、そこはかとない美しさを感じると申しております。不完全なものを心の中で補おうとするとき、勇気が湧いてくるとも・・」

「さて、あなたは日本一高い山は不完全なままでいいと、おっしゃるのですか?」と、太陽の神様は、少し不機嫌そうに言いました。

 すると、月の神様はこう言いました。

「月満つれば則ち欠くと申します。私は欠けても、太陽の神様のお陰で、再び満つることができます。しかし、山はそういうわけにはまいりません」

 太陽の神様は、月の神様が再び満つることができるのは、自分のお陰だと聞いて、たいそうご機嫌になり、それからは二度と日本一高い山を完成させようと言わなくなりました。

 そのかわり、日本一高い山より高い山を造ってはならないと、日本中の神様たちに命じました。そして、新たに山の神様を任命して、日本一高い山が完成しないよう、見張らせたのです。

 それを聞いて、何かお咎めがあるのではないかと心配していた神様たちは、ほっとしました。日本中が暗闇に包まれる心配もなくなりました。

 こうして、日本一高い富士山のてっぺんは平のままになり、ひと“もっこ”分の土は田村山(長浜市)になったのです。              おしまい

 

<注> “もっこ”とは、縄、竹やつるなどを編んで作った土砂の運搬道具のことです。

 

■お墓に入った理由■

 滋賀県に伝わる伝説を元にしたお話です。伝説に忠実過ぎたので、もっと創作部分を入れればよかったです。

エッセイの墓場 3丁目2番地


■五十年後のリベンジ■

 小学5年生、それは体育の授業が終わった直後のことだった。

 些細なことから、校庭の真ん中で同級生Wと喧嘩になった。相手の体は私より小さい。同級生みんなが見ている。負けるわけにはいかなかった。

 何とかなると思った。

 体と体をぶつけあい、相手の攻撃を防ごうと互いに両腕を突っ張り、組み合う形になった。

 誰かの、先生の名を呼ぶ声がした。

 一進一退の攻防。私もWも、二人とも喧嘩とは無縁の児童だった。初めての喧嘩で、少なくとも私は勝ち方を知らなかった。しかし、次第に、相手の手の指が、私の顔面に食い込んでくるのがわかった。刺さった爪が痛かった。痛みに耐えているうちに涙が出てきた。この劣勢を跳ね返す方法が見つからなかった。反撃しようにも、私の手の指には爪がなかったのだ。

「何やってんだ、離れろ!」

 先生が止めに入ったころ、私は明らかに敗者になっていた。

「お前は、保健室に行ってこい」

 私は、逃げるようにその場から離れた。保健室で鏡を見ると、顔に10本の爪の痕が、赤くはっきりと刻まれていた。

 情けない自分の姿に、私は泣いた。

 せめて、一矢報いることができていれば、泣くことはなかった。

「爪に辛子、塗ってやるから」

母は、毎日、そう言って、私の爪噛み(咬爪癖・こうそうへき)を咎めた。

 私の爪噛みは、小学校に入学したころから始まっていた。原因はわからない。しかし、4歳のとき、僅か2カ月で幼稚園を中退した私にとって、小学校での生活が強いストレスだったことは間違えない。

 幼稚園を中退した理由について、母は「悪い病気が流行っていたから」と説明し、私も最近までそう信じていた。しかし、その幼稚園が疫病の流行で廃園したという記録はなく、現在まで正常に運営されている。児童が疫病にかかって死んだという事実もない。中退の原因は、私が幼稚園の集団生活に馴染めなかったためであり、両親は私を傷つけないよう、ウソをついていたのだ。

 Wと喧嘩した日。私は、自分自身と二つのことを約束した。

一、喧嘩に勝つため、爪は噛まずに伸ばす

一、負ける喧嘩はしない

 あの日から今日まで、この約束は守られている。

 喧嘩してから五十年後。ある会合で偶然、私はWに会った。

 私は彼に尋ねた。

「喧嘩の原因が何だったのか、覚えてる?」

 これは、五十年間、どうしても知りたかったことだ。

「覚えてないよ」

 Wは、そう答えた。

 私は、五十年前に自分自身と交わした二つの約束のうち、一つだけを話した。

「咬爪癖が治って、よかったじゃないか」

 Wは、そう言った。

「転んでもただでは起きない、ということさ」

 負け惜しみだった。

 この瞬間、負ける喧嘩はしないと約束した私は、Wにまた負けてしまったのだ。

「あなたのお陰で、咬爪癖が治って感謝している」

 そう言えば、私の勝ちだった。

「また、今度、会おう」

 もうひとつの約束のことは、次に会うときに話そう。

「今度とお化けは出たことがないぞ」

 Wは、そう言った。

「じゃあ、約束だ」

 私は、このまま負け続けるわけにはいかないと思った。

                   おしまい

■お墓に入った理由■

 実話です。50年前の出来事が生々しく蘇ってきます。タイトルを「リベンジ」ではなく「負け惜しみ」にすれば、敗者の理論をもっと上手く伝えられたでしょう。