■カラスの恩返し■
「ああ、早くいい人を見つけて結婚してくれないかしら。そうでないと、死んでも死にきれないわ」
「それって、セクハラだよ。母さん」
「親子でもかい?」
「そうさ、セクハラっていうのはね~」
「はいはい、分かりましたよ。犬でも猫でもいいから結婚してくれそうな相手はいないの?」
「犬でも猫でもいいのかい?」
「ものの例えですよ」
「ちょっと買い物に出かけてくるよ」
私は母の攻撃からいつものように逃げ出しました。
(そんな都合よく結婚相手が現れるわけ、ないじゃない。それを、犬でも猫でもって・・・せめて、罠にかかった鶴でも現れてくれたら、恩返しに美しい妻になって・・・)
私には、機を織るところをのぞいたりしない自信がありました。機を織るところさえ見なければ、幸せは長く続くのです。「鶴の恩返し」の話を知っていれば、絶対にのぞいたりしないはずです。
(「鶴の恩返し」の噂は人々の間に広まり、罠を仕掛ける輩が大勢、出没したに違いない。しかし、これまで「鶴の恩返し」で長者になったという話を聞いたことがない。きっと、鶴の間に噂が広まり、罠を解いてもらっても恩返しするような義理堅い鶴はいなくなり、やがて罠を仕掛ける輩も減少したのだろう)
そんなことを考えながら歩いていましたら、「カアカア」と鳴き声がします。
黒い一羽のカラスが罠にかかってもがいていたのです。その罠は、趣味で野菜や果物を作る市民のため、市が貸与している市民農園の一角に設置されたものでした。(鶴じゃないとだめなんだ、鶴でないと)
通り過ぎようとした私に、カラスが話しかけてきました。
「お願いでございます。どうか、助けてくださいまし」
「いやだよ。お前たちカラスは農園やごみ集積場のごみをあさるし、大きな声で鳴くし、黒くて気味悪いし・・」
「はい。しかし、それは私どものせいでしょうか?昔は山に住んでいたものの、山は荒れ放題で餌もなくなりました。ごみをあさるのは生きていくためでございます。容姿がどうのと言われましても、それはDNAが決めたことで、私どもに責任はございません。気味が悪いかどうか、それは主観の問題でございましょう」
(確かに)
私は、カラスの言うことはもっともだと思いました。そこで、カラスに聞きました。
「それでは尋ねるが、お前を助けると私にどんなメリットがあるというのかね」
「はい。娘に変身して家事のお手伝いもいたしますし、機も織ります。黒色の留袖などでしたら鶴に負けない自信がございます。がんばりますので、どうか、お助けくださいまし」
カラスが懇願するので、少しかわいそうに思って、私はカラスを逃がしてやりました。
するとカラスは、私の頭の上を三回まわり、「カア、カア、カア」と、うれしそうに鳴いて、飛んで行ったのです。
その夜、季節外れの雪が、コンコンと積もり大雪になりました。
私は母に、昼間助けたカラスの話をしました。
「すると今夜、娘に化けたカラスがやってくるんだね」
「そうだよ母さん。そうしたら迷わず家に入れてやるんだ」
「どうしてだい。鶴じゃないとだめなんだろう?」
「カラスがどこまでできるのか、試してやろうと思ってさ」
しばらくして、玄関のチャイムが鳴りました。
ピンポーン。
「開けてくださいまし」
女の声がしました。
母が玄関の戸を開けると、どうでしょう。頭から雪をかぶった若い娘が立っていたのです。
母はカラスの化身に驚いたふりをして、
「まあ、まあ、寒かったでしょう。さあ、早くお入り」
と、娘を家に入れてやりました。
「わたしは、この町に人を訪ねてやって参りました。しかし、どこを探しても見つからず、雪は降るし、日は暮れるし、困っておりました。ご迷惑でしょうが、どうか一晩泊めてくださいまし」
娘は丁寧に、手をついて頼みました。それはとてもカラスの化身とは思えません。今どき、GPSを持っていれば道に迷うことなど考えられませんが、どうやら義理堅いカラスだったようです。
「それは、さぞかしお困りでしょう。こんなところでよかったら、どうぞ、お泊まりください」と私が言いますと、すかさず母が、
「こんなところでよかったらって、ここは私の家ですよ」と言ったので、三人は笑いました。
「ありがとうございます」
娘は喜んで、その晩は食事の手伝いなどをして休みました。
翌朝、私が目を覚ますと、娘はもう起きて働いていました。
ご飯の炊きあがる匂い、出汁のよく効いたみそ汁の香りがします。
そればかりか、家中がきれいに掃除されていました。
「まあ、まあ、朝ご飯ばかりか、お掃除までしてくれたのね。ありがとう」
娘は、母の肩をもんでいました。
「おお、何て気のつく優しい娘さんだこと。こんな娘が家にいてくれたら、どんなにうれしいだろう」
私と母は、顔を見合わせました。
すると娘が、手をついて頼みました。
「わたしは身寄りのない娘です。どうぞ、この家においてくださいまし」
「おお」
「まあ」
予想していたこととはいえ、私と母は喜びました。
私は、ネット通販で中古の機織り機と糸、それに屏風を注文しました。翌日には商品が届きました。
すると娘は機織り機の周りに屏風を立てて、
「機ができあがるまで、決してのぞかないでください」
と言って、機を織り始めました。
私と母は、顔を見合わせて、
「それはもう、決してのぞきませんよ」と言いました。
キコキコバッタン、キコキコバッタン。
娘が機を織り始めて、三日が経ちました。
機を織り終えた娘は、
「さあ、この黒留袖を売って、もっと糸を買って来てください」
と、私と母に、それは、それは、上等な黒留袖を見せたのです。
私は出来上がった黒留袖を写真に撮り、ネットオークションで売りに出そうと考えていたのですが、知り合いの呉服屋に見せたところ、いまどき手織りは貴重だといって予想以上の高い値段で買い取ってくれました。そして、「この糸で、もっと織ってくれ」と言って、上等の絹糸をよこしたのです。
私は、呉服屋から受け取った絹糸を持って帰りました。
すると娘はすぐ、機を織り始めようとしたので、私は、
「3日間、休んでから織ることにしよう」と言いました。
娘が機を織れなくなってしまっては元も子もないからです。
こうして、娘はやせ細ることもなく、機を織り続け、お陰で以前より少し余裕のある暮らしができるようになったのです。
そんなある日、呉服屋が訪ねてきました。
「いったいどんな人が、あんな見事な機を織るのか見てみたくてね」
もし、機を織っているのがカラスだと知れたら、この幸せな生活は続けられなくなってしまいます。
「それは、お断りします」
私は、きっぱりと言いました。
「どうしてです?まさか、鶴が織っているというのでは?」
「まさか、ご冗談でしょう」
「もし、鶴が織っていることを私が知っていたら、鶴はとっくに山へ帰ってしまっているでしょう」
「それはそうだが・・・」
「私どもにも製造上の、言わば企業秘密というものがございます。今日はお見せできませんが、日をあらためてご覧いただけるように用意させましょう」
呉服屋は、ぶつぶつ文句を言いながら帰っていきました。
しばらくして、私は、娘が機を織っていない日に呉服屋を呼びました。
「ほう、この娘があの織物を~」
私は娘を妻だと紹介しました。
「これは、これは、おめでたとは。鶴に人間の子どもが産めるはずがない」
「よしてくださいよ、悪い冗談は」
「これは失礼。仕事は休み休みでかまいませんから。お大事に」
そう言って呉服屋は帰っていきました。娘のお腹には新しい命が宿っていたのです。
しばらくして、臨月になった娘は、
「これから、里へ帰って子ども産んで参ります。子どもを連れて帰るまで、決して山に近づかないでください」
と言って、山に帰っていきました。
「本当に、帰ってくるのかねぇ」
娘がカラスの化身であることも忘れ、私と母は心配で、食べる物ものどを通りません。
「私はもう、孫の顔を見ることができたら死んでも構わないから」と母は言いました。
それから三日後、娘は可愛い赤ん坊を抱いて帰ってきました。
私と母は、涙を流して喜びました。
そのあとも、娘は、三日休んでは機を織り、また三日休んでは機を織りました。おかげで、赤ん坊はすくすくと育ちました。
一人目の子どもは、医者になって多くの病人の命を救いました。
二人目の子どもは、実業家になってたくさんの事業を起こしました。
三人目の子どもは、政治家になってこの国を動かすことになりました。
それでも、娘は、三日休んでは機を織り、また三日休んでは機を織りました。
「もう、機を織らんでもいいから。十分、恩を返してもらったから、自由にしてあげたらいい」と母は言いました。
「機を織るところをのぞけば、カラスに戻れるよ」
「おまえがのぞいてあげなさい」
「いいや、母さんが」
二人が言い争っていると、娘が出来上がったばかりの黒留袖を持って出てきました。
「もう、お気づきのことと思いますが、わたしは、いつか助けられたカラスでございます。ご恩をお返ししたいと思って娘になり、旦那さまの妻になりました。そして、三人の子どもを授かり、一人は医者に、一人は実業家に、一人は政治家になって、国を動かすまでに成長しました。けれど、もうお別れでございます。どうぞ、いつまでもお達者でいてくださいませ」
「いや、まだ、あなたが機を織るところをのぞいたわけではないし~」
「そうよ、急に・・・」
母は泣いて、それ以上、声になりません。
「いいえ、旦那さま。見ていただきたくないこの気持ちをわかってくださいまし」
「そんな・・・」
「どうぞ、いつまでもお達者でいてくださいまし」
そう言ったかと思うと、娘はたちまち一羽のカラスになって空へ舞い上がりました。
そして家の上を、三回まわって、「カア、カア、カア」と、鳴きながら、山の向こうへ飛んで行ってしまいました。
「カラスや。いいや、娘よ。どうかお前も達者でいておくれ・・・今まで、ありがとう」
「カラスや。いいや、妻よ。今まで本当にありがとう」
私と母は、いつまでもいつまでもカラスを見送りました。
それからのち、三人の子どもたちはそれぞれ子どもを授かり、その子どもたちもそれぞれ子どもを授かり、世の中はカラスの子孫でいっぱいになったのでございます。
■お墓に入った理由■
誰もが知っている「鶴の恩返し」の「鶴」をカラスに変えたら?という発想が単純過ぎました。
■大人に近づいた日■
骨折が原因で、一か月以上の入院生活を送ったのは、小学五年生のときでした。
身体はベッドに固定され、寝たきりで動けません。病室には十人の患者がいましたが、私のほかは大人ばかりで、話し相手もいません。みじめで、ひとりぼっちで、寂しくて、そのとき出会ったのが「飛ぶ教室」でした。
「飛ぶ教室」は、「エーミールと探偵たち」や「ふたりのロッテ」などで知られる、エーリッヒ・ケストナーの作品で、ドイツの寄宿舎で学ぶ五人の子どもたちの物語です。
家が貧しいため、奨学金を受けている勤勉家で首席のマルティン、四歳のとき実父に捨てられ、単身ドイツへと渡ってきた作家志望のジョニー。勉強は苦手ですが、喧嘩が強くボクサーを志している食いしん坊のマティアス。小柄で気が弱い性格を悩んでいるウリ。読書家で弁が立つゼバスチャン。
五人は他校の生徒との喧嘩、仲たがいしていたベック先生と禁煙さん(禁煙車に住んでいる)との再会、クリスマス劇「飛ぶ教室」の制作などを通し、成長していきます。
それまで、小学校と家との往復しか知らなかった私には、寄宿舎での出来事は想像できないことばかりでした。ベッドのうえで、想像を膨らませ、夢のような時間を過ごすことができたのです。
病室の一番奥に、もう半年も入院している男の人がいました。工場で両足をベルトコンベアに挟まれ、重傷を負ったのだそうです。
私は、その人のことを心の中で、禁煙さんと呼んでいました。「飛ぶ教室」の禁煙さんはタバコ好きだけど、病室の禁煙さんは好きなタバコをやめて、つらいリハビリに耐えていたからです。
病室の禁煙さんは、毎朝、バケツにお湯を張って、動かない両足の関節を入念にあたためます。あたためると、関節の動きが少しよくなると言っていました。人の関節は数週間、動かさないだけで拘縮(こうしゅく)し、堅く曲がらなくなってしまいます。その錆びた関節を力ずくで曲げるのがリハビリです。病室の禁煙さんは、毎日、車いすに乗ってリハビリ室に通っていました。
私は、「飛ぶ教室」の五人の生徒のうち、弱虫ウリを自分と重ねていました。
クリスマスの前日、ウリは、臆病な性格を克服するため、体操用の高いはしごの上から、開いた傘をパラシュートにしてジャンプし、落ちて骨折してしまいます。後先を考えずに行動する私と、そっくりでした。
友達を救出するためにルールを破り、寄宿舎を抜け出す場面では、その心情をくみ取り、「ふさわしい罰」を与えた正義先生(ベック先生のあだ名)の温情ある裁きに、心が震えました。
私は、ルールは守るためにあるのではなく、ルールを使って正義を貫くのだ、ということを「飛ぶ教室」から学んだのです。
法律は社会のルールを定めたものです。世の中には法律を守ることを仕事にしている人が大勢います。私も、その一人でした。
しかし、法律は守るためにあるのではなく、国民や市民を守るために使うものです。法律が間違っていれば、国民や市民を守るために、それを正すのが本当の仕事なのです。
「飛ぶ教室」の、長いまえがきの中で、作者のケストナーは「知恵のない勇気は、ただの暴力であり、勇気のない知恵は役に立たない」と述べています。そして、「勇者が賢くなって、賢者が勇気を持ったとき、人類は初めて一歩前に踏み出せるだろう」とも言っています。
この作品が書かれたのは一九三三年です。当時、ドイツはナチスの支配下にありました。反ナチスとみなされた文化人やユダヤ人が弾圧され、自由に本を書くことも許されなかった時代に、ケストナーは勇気をもって、この「飛ぶ教室」を世に出したのです。
さて、私の入院していた病院は自宅から遠く、バスを二系統も乗り継いで行かなければならない、不便なところにありました。仕事で忙しい母が、幼い弟を連れて見舞いに来るのは、時間的にも、精神的にも、経済的にも、たいへんだったに違いありません。
一方、「飛ぶ教室」の寄宿舎で学ぶ子どもたちが両親に会えるのは、長期休暇のときだけです。お金のないマルティンは、正義先生の支援なしに、家に帰ることができませんでした。
私は、病院を寄宿舎だと思えばいい。そう考えて、寂しいけど、勇気を出して母に言いました。
「もう、毎日、来なくていいから」
この日、私は、子どもから少し大人に近づいたのです。
■お墓に入った理由■
実話です。50年前の出来事が生々しく蘇ってきます。あまりにも有名な小説が題材なので、私以外の人には新鮮味が感じられなっかたのでしょう。「玉手箱を忘れた太郎」の「あとがき」に再編集して収録しました。
■ハッピーエンドが好き■
アンデルセンの名作「人魚姫」の結末は、王子様と人魚姫が結婚できず、自分の命か王子様の命か、どちらか一方を選ばなければならなかった人魚姫が、海の泡になって消えてしまうというものでした。
結末を知っていれば読まずに済んだのに。
悲しい気持ちにならずに済んだのに。
「人魚姫」を読んでから、物語の結末を先に読むクセがついてしまいました。
サッカーやテニスの試合も、結末を知ってから録画を見るようにしています。
ハラハラ、ドキドキはありませんが、安心して観戦することができるからです。
ところが、人魚姫を元に作られたディズニー映画「リトル・マーメイド」の結末は、人魚姫と王子様が結婚するハッピーエンドです。
そんなに都合よく結末を変えてもいいの?
物語には著作権というものがあって、勝手に使ったり、変えることはできません。しかし、法律によって作者の死後七十年経つと、著作権は消滅します。アンデルセンは一八七五年に亡くなっているので、結末を変えることができたのです(著作権で保護される期間は国により異なります)。
そういうことなら、私には結末を変えてほしい物語があります。
「フランダースの犬」です。
心を寄せていた少女アロアの家の風車に放火した疑いをかけられ、村人から冷たくされ仕事もなくなり、家賃も払えず住まいも奪われ、望みをかけた絵画コンクールにも落選したネロと愛犬パトラッシュ。
クリスマスの次の朝、二人は教会の2枚の絵画、ルーベンスの傑作「キリスト降架」と「キリスト昇架」の下で硬く抱き合ったまま息絶えるのです。
私はあの光景を思い出すたびに、涙が止まらなくなるので、テレビドラマとして初めて放映された時も、映画になった時も観ることができませんでした。
ところがどうでしょう。アメリカでは5回も映画化されているのに、5回ともネロの父親が名乗り出て、ネロもパトラッシュも死なないという、ハッピーエンドに変えられているのです。
国民性の違いなのでしょうか?
「フランダースの犬」の最後で、ネロとパトラッシュの疑いが晴れ、アロアの父親も、村人も、二人の周囲の人々はみんな改心し、二人を懸命に探します。
もし、命さえあれば、ネロはアロアと結婚し、ルーベンスのような画家になり、パトラッシュとともに幸せに暮らしていたに違いありません。
「あきらめなければ、最後は幸せになれる」
これを伝えるために、
「いくらがんばっても、叶わないことがある」
しかも、主人公の死をもって伝える必要があったのでしょうか?
ところで、日本にもアンハッピーな結末の物語がたくさんあります。
例えば、国語の教科書に掲載されていて、誰でも一度は読んだことのある「ごんぎつね」です。
キツネのごんが自らのいたずらを後悔して、償いをするために、兵十の家に栗を届けるようになるのですが、ある日、兵十に火縄銃で打たれてしまいます。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
兵十が、ごんを打ってしまった直後、ことの次第を知り、後悔するラストシーンです。
「権狐はぐったりなったまま、うれしくなりました」
この新美南吉の原作に対し、教科書では次のように変えられています。
「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」
国語の授業で、子どもたちに、ごんの心情を考えさせるためには、こうした修正が必要だったのかもしれません。しかし、私は、悲しみの中に光明の差す原作のほうが好きです。できれば、生き返ってほしい。
本を読むならハッピーエンドが好き。
最後がハッピーエンドなら、最後まで安心して読むことができるからです。
最後がハッピーエンドなら、途中の山は高く、谷は深いほど面白いです。
ジェットコースターと同じです。
人生もハッピーエンドが好き。
人生がハッピーエンドだと分かっていれば、この先の人生、どんな試練にも、どんな逆境にも耐えることができるからです。
そこで、人生をハッピーエンドに変える方法を考えました。
夢が実現した未来のことを想像するのです。すると、脳は現実世界と想像世界の区別がつかないので、未来はハッピーエンドに変わります。物語の結末は簡単に変えることはできませんが、人生の結末は自分の力で変えることができるのです。
■お墓に入った理由■
みんなハッピーエンドが好きだから。「共感」いただけたかもれませんが、それが「感動」につなげることができませんでした。